レモンのひとりごと

1人暮らしのひきこもりなアウトドア。旅、キャンプ、アニメ、小説、料理、ジャスミン茶、鶏の唐揚げが好き。

【瞑想体験】10日間、10時間/日のヴィパッサナー瞑想の効果と弊害

どうも、レモンです。

 

ヴィパッサナー瞑想、世界中にこの瞑想合宿を行える寺院などが存在しているのですが、日本にも京都と千葉の2箇所で修行(ここではあえて修行と呼びます)することができます。

 

目次

 

ヴィパッサナー瞑想とは

このヴィパッサナー合宿は、最低10日間施設に籠もる必要があり、朝は4時に起床して、1時間/回の瞑想を1日に10回以上繰り返します。ただ、この10日間にはいくつもの制約があり、まず他の参加者との一切のコミュニケーション(会話、筆談、アイコンタクト等)が禁止されており、そもそも他人と目を合わせてはならい。そして、一切の娯楽(携帯、本など)の持ち込みも禁止されており、生き物の殺生も禁止、もちろん食事も3食ベジ食になる。

 

これだけの制約を持ったヴィパッサナー瞑想を知ってまず感じたのが、「狂ってる、、、よし!参加しよう」だ。22歳の時でした。

 

瞑想自体は10日間ですが、事前説明などで計12日が最低必要日数になり、初めての参加者はこれより短い期間では参加ができず、「とりあえずお試しで参加、ふふ」なんてことはもちろんできない。だから、ふつうに考えたら、ある程度時間のある人にしか参加できない、そんな所に魅力を感じたのもあります。

 

ちなみに瞑想というと、巷では少し流行っている気がしますが、「自宅で1時間瞑想してみました」とか「お寺で1日経験してみましたでやんす」なんていうレベルからは明らかにかけ離れています。辛いことのほうが多く、これが修行といった訳です。

 

ちなみに私は千葉の施設で2回連続で参加したので、3週間くらいは籠もりっきりでした。

 

梅雨前の季節に参加したので、緑が美しいです。真ん中の施設が瞑想を行う場所で、両隣の建物が宿舎。

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ちなみにテントで宿泊することもでき、私はより自分だけの世界に行きたかったので、テント泊をしていました。といっても本当に寝るだけですが。

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さて、このヴィパッサナー瞑想ですが、やる前とやった後でも感じたことは同じで、「狂ってるわ」でした。

 

 

効果と弊害

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毎日毎日、来る日も来る日も、目を閉じて、自分の呼吸や身体の感覚、感情をただただ「観察」する。そう、「観察する」のです。いや、思いますよね、「は、なにそれ、怖い」でも、ほんとにひたすら観察するんです。

 

最初の3日間くらいは自分の呼吸をひたすら観察して、徐々に身体の感覚を観察していき、最後には思考や感情を観察する。でもその思考や感情に答え探したり起伏してはならず、ただただ観察し、受け流し、また身体の感覚の観察に戻る。これを繰り返します。

 

全くなにを言っているのかわからないと思うのですが、人間って自分でも気がついていないだけで、四六時中なにかを思考していて、脳では思考が喋り続けていることに気が付きます。

 

呼吸をただただ観察しているだけなに、頭のなかでは、「腹減ったー」、「唐揚げ食いてえー」、「でも晩飯は豆だろうなー」とか、常に何かを思考して、脳で自分だけで会話してたりするわけですが、この思考を無視して呼吸の観察を続けます。

 

徐々に今度は身体中の感覚を少しづつポイントをずらしながら観察していくわけですが、実際身体の感覚なんて意識した所でなにも感じなくて、それよりも座りっぱなしなので足が痛くて痺れるわけで、頭の中では「足が痛いなー」っていう思考に支配されてしまうのですが、この感情を無視して、身体中の感覚を観察し続けます。これがめちゃくちゃ難しく、めちゃくちゃ辛いです。

 

普通だったら絶対思い出さないような子供の頃の些細な記憶やその時の細かい感情なんかもなぜだか絶え間なく浮かんできて、その懐かしい、嬉しいかもしれないし、悲しいかもしれない記憶も無視して、また身体の感覚を観察することに戻ります。

 

次第にざわついていた思考が収まり始め、思考に支配された時間から少しづつ離脱してきます。同時に身体の感覚が研ぎ澄まされていき、最初はなにも感じなかった些細な感覚を身体が拾い始めます。この時、身体に電気が流れる。気持ちいいと。でもその気持ちいいという感情も無視して、また感覚の観察に戻ります。

 

すると、どうだろうか、ある時、思考を全くしていない、もしくはしていたのかもしれないないが、思考していたという感覚がなく、1時間という時間が一瞬で終わることがあります。このときの衝撃といったらとても言葉にはできないですが、この驚きと快感の感情を、また無視して感覚の観察に戻る。

 

そして、10日間が過ぎ、制約が解禁され、参加者が口を開く瞬間はみな優しい顔をしている。

 

 

この瞑想体験が人間のなにを変えるのだろう。まずは、人間は常に思考をしているのに、自分の身体の声に耳を傾けることから遠い生活をしていると気がつきます。そうすると、心をもっと平穏に保つためにはどうしようとか、身体に悪いものを口にいれるのはやめようとか、怒る感情は自分を苦しるだけだなとか、それを意識的に思うのでなく、身体がそうしたいと願うことを自然に聞き入れてしまうような感覚になります。ちなみにこれは私のケースですので、たぶん人それぞれです。

 

一見いいことにも思えるのですが、ある意味「ふつうに生活する」上では悪く働くこともあります。例えば、私はこの瞑想のあとお酒が飲めなくなり、しばらく飲んでいなかったのですが、もし社会人の人がお酒を飲めなくなるのは社会的な繋がりの1つを断つことに近く、極論、社会的な適合能力を失う可能性もあると思います。

 

 

まとめ

いまとなっては、お酒もばんばんに飲みますし、体験を自分のなかで昇華してバランスをとることが大事だよな、とうまく身体と向き合いながら生活をしている次第です。

 

もちろん、悪い一面もありますが、自分と向き合うことのできる手段としては最高クラスに有能だと思うので、30歳や40歳など年の節目節目で参加したいとは思いますが、さて時間がとれるだろうか。

 

ついでに、この瞑想中に、昔に知り合った一人の女性の顔が突然浮かび、「ああ、この人が運命の人だったんだ」と思い、合宿が終わってからすぐに会いに行って告白したのですが、すでに結婚してました。

 

以上